6月23日(水)に標記のテーマでZoom開催された
FMICS 月例会(第739回例会)にて、私がコメントした内容です。
この私の報告を含む、全ての問題提起(パネリスト)やコメンテーターの報告内容、ブレイクアウトセッションの記録、参加者の感想などについては、毎月会員宛に発送されている会報『BIG EGG』
(2021年7月号)に収録されています。

安田さんが報告されたコロナ禍における入試への影響については、現場からみて頷く点もあれば、やはり大学の立ち位置により見える風景が違うものだとも思いました。詳細は省きますが、私の横浜市立大学は、やはり恵まれ環境にありました。
さて例会の問いである、輝く大学を作るためにわたしたちは何をしたらよいのでしょうか?
それは、「目の前の一人一人の学生(生徒・受験生)を愛おしく語る」ことだと思います。このあたりの感覚が怪しい人もかなりいるようには感じますが、おそらく教育現場にいる人多くのは、目の前の学生さんを“愛おしく思う”感覚は、持っているはずです。ただ、個人の心の中だけで思うだけでは、もはや十分ではなくて、点から線、線から面へとそれを広げ、組織的に課題を解決して輝く大学となる為には、“愛おしく語る”ことが不可欠なのだと思います。
30年以上も前から、大学の淘汰や、旧態依然とした教職員の淘汰が言われてきました。実際に廃校となった大学も出ては来ましたものの、本当に“淘汰モデル”や“新陳代謝モデル”で解決されるものなのでしょうか? 通常の製品やサービスの様に、特定のサプライヤーが人気の製品やサービスを需要に合わせて供給し、市場の圧倒的シェアを奪うようなことは、大学のような学校教育においてはありえません。学生思いの優れた教育実践を行う大学に全ての希望者が入学したり転学したり出来るわけではないのであり、大多数の学生さんにしてみれば、今ある大学が変わっていかなければ、問題解決にはならないのです。
いかに今いる人たち(教職員)をして、目の前の一人一人の学生を愛おしく語れる仲間に変えられるのか? それにはやはり、目の前の一人一人の学生を愛おしく語るとともに、目の前の一人一人の教職員をも切って捨てるのではなく、愛おしく語ることでしか、成し得ないと思います。
posted by N.IDEMITSU at 23:59
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高等教育論
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