2016年03月15日

“学びの水先案内人” 事はじめ

 桜美林大学大学院 大学アドミニストレーション研究科の『Newsletter 26』(2016.3.15発行)に寄稿したエッセイです。実物は4頁のニュースレターですが、内部向けのものなので私の記事面だけを掲載しています。

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 1993年、桜美林大学に初めての大学院となる国際学研究科修士課程(国際関係専攻・環太平洋地域文化専攻:入学定員は両専攻で50名)が開設されました。この研究科は、当時の桜美林大学が設置していた文学部・経済学部・国際学部にまたがる連合型の大学院として学際型のカリキュラムを有し、研究者養成より職業人養成を主たる目的に掲げ、昼夜開講制、セメスター制、9月入学などのシステムを取り入れて、当時としては先進的なコンセプトの大学院として出発しました。そしてそのカリキュラムの中には、現在の大学アドミニストレーション研究科の源流とも言える高等教育に関する科目群が開設されていたのです。私は翌1994年4月に入学し、1999年9月に博士後期課程を中退して桜美林大学の職員となるまで、留年や休学期間も含めて5年半在学していました。もっとも高等教育をテーマとする院生は私が初めてであり、2001年に「大学アドミニストレーション専攻」が開設されるまでは毎年1〜2名程度しかいませんでした。

 しかし1997年頃からは、いくつかの高等教育分野の授業科目で10名から20名くらいの履修者を数えるようになります。それは、科目等履修生や聴講生として現職の大学職員や関連団体の方々が登録するようになったからです。その嚆矢は1996年の秋学期、当時の日本私学振興財団におられた高橋真義さん(現・研究科教授)が、当時“M3”だった私に誘われて、寺崎昌男先生の大学史に関する授業に科目等履修生として参加したことでした。寺崎先生は1998年より桜美林大学の専任となられますが、それまでは立教大学が本務であって桜美林大学では土曜日に授業を開講しており、高橋さんが履修するのに良いタイミングだったのです。寺崎先生の授業は素晴らしく高橋さんも私も惚れ込み、翌1997年よりFMICSのネットワークなどを使って、現職の大学職員の方々に科目等履修生や聴講生としての登録を案内していきました。

 また1998年には寺崎先生とともに「大学アドミニストレーション専攻」立ち上げの2枚看板となる諸星裕先生が着任。月曜日の夜7:30〜9:00という時間でアメリカの大学運営に関する授業科目を開講し、多摩地区を中心に数名の大学職員の方が受講されます。そして1999年〜2000年度には、神田のYMCAに教室を借り、隔週の月曜日に18:30〜21:30の2コマ連続というスタイルで諸星先生の授業を開講します。このサテライト開講の授業には、コンスタントに20名近い履修者数を数えましたが、そのほとんどは科目等履修生と聴講生でした。しかし当時の桜美林大学では、科目等履修生・聴講生の郵送受付はしておらず、町田キャンパスの窓口に来なければなりません。そこで、私が営業マンのように手続の代行を行い、学期最初の授業に(締切は現在より遅く授業の第1週から2週目くらいでしたので)出願書類と時には100万円近くになるお金を預かり、翌日に窓口に持っていきました。

 タイトルにある“学びの水先案内人”とは、科目等履修生や聴講生へのお誘いや手続案内を甲斐甲斐しくおこなっていた当時の私に対して、高橋さんが命名してくれたものです。その後桜美林大学の職員になってから本格的にアドミッションの業務に従事し、現職の横浜市立大学に至りますが、その礎となる経験でした。

 大なり小なり高等教育機関というものは、やはり複雑な仕組みを有するシステムです。大学アドミニストレーション研究科で学ばれた皆さまには、研究テーマや現職における担当は様々であっても、仕組みに精通した“学びの水先案内人”や“手続の水先案内人”として、力量を発揮されることを期待しています。

(出光 直樹)

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posted by N.IDEMITSU at 15:00 | TrackBack(0) | 大学院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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